前回の思索ログ001で、私はこんなことを書きました。
人生には、
もしかしたら見えないルールがあるのではないか…。
そのルールのひとつが、
自分の本質とズレると苦しくなり、
本質と整合すると自然に流れ始める
ということではないか、と。
ここまで読むと、次に自然と出てくる問いがあります。
それは、
「人は、なぜ本質からズレてしまうのか?」
という問いです。
もし本質と整合している方が自然で、
エネルギーも通りやすくて、
人生もうまくいきやすいのだとしたら、
なぜそんな大事なものから、
私たちはズレてしまうのでしょうか。
私は、この問いについてずっと考えてきました。
そして今のところ、
かなり確信を持って感じていることがあります。
それは、
人は、自分の本質を分かっていない。
というより”忘れている”のではないか…
ということです。
誰でも必ず、その人の本質があります。
それがなくなることはない。
ただ、生きていく中で、
少しずつ見えなくなっていく。
覆い隠されていく。
そして気づいたら、
本来の自分とは少し違う自分で、
人生を生きるようになっている。
そういうことなのではないかと思うんです。

人は、ズレようとしてズレるわけではない
ここはとても大事なところで、
人は、わざと本質からズレて生きようとしているわけではありません。
むしろ逆で、
ちゃんと生きようとしてきた結果、ズレていく。
ここに、このゲームのややこしさがあります。
子どもの頃の私たちは、
もっと自然だったと思います。
好きなことには夢中になる。
嫌なことは嫌がる。
興味のあることは止められてもやめず、
違和感があれば、素直に表に出す。
私たちは本来、そういう“本質センサー”を持っている。
でも、成長するにつれて、
少しずつそれを抑えることを覚えていきます。
「そんなこと言っちゃダメ」
「わがまま言わないの」
「ちゃんとしなさい」
「みんなと同じようにしなさい」
「空気を読みなさい」
もちろん、社会の中で生きる以上、
ある程度の調整は必要です。
でもその過程で、
私たちは少しずつ
“本当の自分の感覚”よりも、
“周りに合わせること”を優先するようになっていく。
すると何が起きるか。
本質が消えてなくなのではなく、
本質の声が聞こえにくくなるのです。
「いい子」になるほど、ズレやすい
これは少し皮肉なことですが、
真面目な人ほど、本質からズレやすい
と思います。
なぜなら、真面目な人ほど
「ちゃんとやろう」とするからです。
親の期待に応えようとする。
先生の言うことをちゃんと聞こうとする。
社会のルールに適応しようとする。
人に迷惑をかけないようにしようとする。
そうやって、
“いい子”として、
“ちゃんとした人”として生きようとする。
それ自体は悪いことではありません。
むしろ、多くの場合それは、
優しさや責任感の表れです。
でも、その過程で
「自分は本当はどうしたいのか」
「何に違和感があるのか」
「何にエネルギーが通るのか」
そういった、自分の内側の声よりも、
「こうあるべき」
「こうした方がいい」
「こうしないとダメ」
という外側のルールの方が強くなっていく。
すると人は、
“世間的に正しい人生”は生きられても、
“自分らしい人生”が分からなくなることがあります。
学校も社会も、“まじめにやるとズレる”
ここは少し大きな話になりますが、
私は、今の社会そのものが
人が本質からズレやすい構造
を持っているように感じています。
学校では、
みんなと同じペースで学ぶことが求められます。
社会では、
空気を読んで、
期待に応えて、
効率よく成果を出すことが求められます。
会社では、
組織に適応することが重視されます。
もちろん、それらが悪いわけではありません。
ただ、こうした仕組みの中に長くいると、
人はどうしても
「自分の感覚」よりも
「外から求められる役割」
を優先しやすくなります。
そして気づいたら、
「ちゃんと生きてきたはずなのに、なぜか苦しい」
「それなりにやれているのに、満たされない」
「間違ってはいないはずなのに、どこか違う気がする」
そんな状態になっていく。
これは、かなり多くの人に起きていることではないでしょうか。
ズレるとき、人はまず“違和感”を感じる
私は、本質からズレたときに最初に起きるのが、
”違和感”
だと思っています。
最初は、とても小さなものです。
「なんか違う気がする」
「このままでいいのかな」
「うまく言えないけど、しっくりこない」
でも多くの場合、
その小さな違和感はすぐにかき消されます。
「気にしても仕方ない」
「みんなそうなんだから」
「もっと頑張れば何とかなる」
・
・
そうやって違和感を押し込めながら、
人は前に進もうとします。
でも、違和感は消えたわけではありません。
ただ奥に隠れていくだけです。
そして、それが積み重なると、
モヤモヤする。
息苦しくなる。
やる気が出なくなる。
空回りする。
ときには、心や身体の不調として出てくることもある。
だから私は、
違和感は悪いものではなくて、
“本質とのズレを知らせるセンサー”
なのだと思っています。

ズレは「本質を思い出すための入口」
ここが、私にとってとても大事な感覚です。
本質からズレること自体を、
私は悪いことだとは思っていません。
もちろん、苦しいです。
できればズレない方がいい。
でも、人間として生きる以上、
ある程度ズレるのは、
むしろ自然なことなのかもしれません。
なぜなら、社会がズレているから。
それに、ズレるからこそ、
「なんか違う」
「このままじゃ嫌だ」
「本当はどう生きたいんだろう」
という問いが生まれるからです。
もし最初からずっと本質ど真ん中で生きていたら、
そもそも「本質」というものを
意識することすらなかったかもしれません。
そう考えると、
ズレることは、
本質を思い出すための入口
なのかもしれません。
私は最近、
人の人生には大きく分けて
本質探求 → 本質回帰 → 本質整合
という流れがあるのではないか、と感じています。
最初は、
何かが違うという違和感から始まる。
それが「本質探求」の入口になる。
そして少しずつ、
自分本来の感覚やあり方を思い出していく。
それが「本質回帰」。
さらに、その本質が
生き方や仕事や人間関係や経営にまで整合してくる。
それが「本質整合」。
そう考えると、
今感じている違和感やズレも、
ただの不調や失敗ではなくて、
本来の自分に還っていくプロセスの一部
なのかもしれません。
だから「違和感」を大事にしたい
もし今あなたが、
「なんとなく違う気がする」
「このままでいいのか分からない」
「ちゃんとやってきたのに、どこか苦しい」
そんな感覚を持っているとしたら、
それは、
あなたがダメだからではなくて、
本質の声が、まだちゃんと生きている証拠
なのかもしれません。
違和感があるということは、
まだ麻痺しきっていないということでもあります。
まだ、自分の奥にあるものが
ちゃんと反応しているということです。
それは、かなり大事なことだと思います。
人は、ズレてしまうことがあります。
でもそれは、
終わりではなく、
思い出す旅の始まりとも言えるのです。
私はこれからも、
この「ズレ」と「違和感」と「本質」の関係について、
少しずつ言葉にしていこうと思います。
あとがき
本質は、
どこか遠くにある“特別な答え”ではなくて、
もしかしたら、
ずっと自分の中にあったのに、
ただ見えにくくなっていただけなのかもしれません。
もしそうだとしたら、
必要なのは「新しい自分になること」ではなくて、
本来の自分を思い出すこと
なのかもしれません。