世間の常識に合っていれば「普通の人」、そこから外れると「変わった人」。しかし、その常識自体が人間の本質からずれているとしたら、どうでしょうか。
第6回では、学校教育や社会への適応、子どもの個性に合った学び方などを入り口に、常識と本質の関係を考えます。
町の電器屋さんの業界では、「感謝祭」と言いながら商品を売り込むイベントが、当たり前に行われてきました。そこで業界の常識を手放し、商品を何も売らない「お店の誕生会」を開催したところ、お客さまが心から喜び、結果として売上にもつながりました。
周囲から変人と思われても、自分の本質に軸を置く。その先に、売る人も買う人も幸せになる商売が生まれるのかもしれません。

「売る気がないのに自然に売れる、本質整合経営」。
この番組は、人や組織の本質を言語化し、本質と一致した生き方、そして本質整合した仕事と経営のあり方を探究する番組です。

こんにちは。本質整合研究所の櫻木隆志です。

インタビュアーの高須早智子です。
今回で第6回目の配信となりました。配信日も、もう7月ですね。櫻木さん、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

これまでのオープニングでは、櫻木さんがサッカーをされていたことや、ゲームがお好きだったことなど、いろいろなお話を伺ってきました。
今回は、櫻木さんがどのような性格、どのようなキャラクターだったのかを伺いたいと思います。
いつの間にか、まとめ役になっていた

自分では、割と真面目なタイプだったと思います。
ずっとサッカーをしていましたが、小学生の頃から、周りに推される形でキャプテンを務めることが多く、小学校、中学校、高校、大学と、自然にそうした立場になっていました。
性格としては、みんなをまとめるような立ち位置になることが多かったのだと思います。

小学生の頃から大学まで、ずっとキャプテンだったんですか?
それはすごいですね。
周りから見た櫻木さんは、真面目で、リーダーシップがあり、みんなを引っ張ってくれそうな存在だったのでしょうね。

どうでしょうね。
サッカーの実力だけで言えば、どの年代にも、私より上手な選手は必ずいました。チームで一番上手な選手だったわけではありません。
ただ、友人関係のなかでも、なんとなく中心的な役割になることが多かったように思います。

私もテニス部だったのですが、部長になる人には、やはり部長になるだけの雰囲気がありますよね。
周りの人が、
「あなたなら、できるよ」
と感じて、自然にその人を選ぶ。
私の友人にも、今でも「部長」という感じの人がいます。年月が経っても、みんなをまとめたり、連絡役を引き受けたりしています。
なるべくして、その役割になっているように感じますね。

ありますよね。
私自身は、自分の性格を正確に説明できるわけではありませんが、振り返ると、自然にそういう役割になっていたのだと思います。
「真面目に座っている子」が、本当によい子なのか

ただ、「真面目」という言葉については、少し考えるところがあります。
最近、不登校の子どもが増えていると言われますよね。
学校では、席にきちんと座り、静かに授業を聞いている子が「よい子」とされる傾向があります。
そのように振る舞えない子は、場合によっては「問題のある子」と見られてしまいます。
でも、その前提自体が、本当に正しいのだろうかと思うんです。
今の社会や学校教育には、さまざまな問題があります。
もしかすると、不登校になる子どものなかには、今の教育のあり方のおかしさや、自分との不一致を敏感に感じ取り、それを素直に表現している子もいるのではないでしょうか。
もちろん、不登校になる理由は一人ひとり違います。
すべてを同じ理由で説明することはできません。
それでも、
「学校に行けない本人に問題がある」
とだけ捉えるのではなく、
「その子が違和感を持っている学校や社会の側に、何か問題はないだろうか」
と考える視点も必要だと思います。

そうですね。
不登校になる理由は、その子によってさまざまだと思います。
ただ、学校を休むことにも勇気が必要ですよね。
何かに違和感を持ち、「行かない」という選択をすることも、その子なりの個性の表れなのかもしれません。
何が本当に正しいのかは、簡単には分かりませんね。
問題があるのは、個人なのか、社会なのか

今の学校教育に違和感を持ち、不登校になることは、私には理解できる部分があります。
そして社会に出た後も、会社や仕事のあり方に合わないと感じ、場合によっては引きこもるようになる人もいます。
そうした人が増えている背景には、社会のあり方そのものに問題があるのではないかとも思います。
一般的には、学校へ行けなくなった人や、社会に出られなくなった人など、個人の側が問題視されます。
しかし、もしかすると、社会の側が人間の本質からずれていて、そのずれに対する違和感を素直に表現している人が、不登校になったり、引きこもったりしているのかもしれません。
すべてがそうだと言うつもりはありません。
ただ、
「社会に適応できない人に問題がある」
という一方向の見方だけでは、本質を見誤る可能性があると思います。

今は、学校以外にもさまざまな学び方がありますよね。
公立の小学校、中学校、高校へ順番に通うだけではなく、自宅で学べる学校や、通学と通信を組み合わせた学校もあります。
その子の本質や個性に合った学び方は、少しずつ増えてきていると思います。
それでも、一般的な進路のレールから外れると、
「あの子は少し変わっている」
「普通の道から外れてしまった」
と見られることはありますよね。
社会の常識が、本質からずれていることもある

そうですね。
ホームスクールやフリースクールなど、さまざまな選択肢が増えていることは、とてもよいことだと思います。
ただ今も、
「社会の常識に合っていることが正解である」
という考え方は根強くあります。
社会の常識に合っていれば、普通の人、正しい人と見られる。
反対に、そこから外れると、落ちこぼれや変わった人のように見られてしまう。
これは、子どもだけでなく、大人にも当てはまります。
でも、もし社会の常識そのものが、人間の本来の姿や本質からずれているとしたら、どうでしょうか。
その場合、常識に合わせるほうが本質からずれ、常識から外れるほうが本質に合っていることもあるはずです。
私は以前から、売上や利益だけを重視する考え方や、効率、コストパフォーマンス、お金を第一に置く社会の価値観に違和感を持っていました。
その違和感があったからこそ、町の電器屋さんの商売に惹かれたのだと思います。
町の電器屋さんの世界には、効率だけでは測れない、人と人との信頼や思いやりが残っていました。
ですから、
「自分が社会からずれているのではなく、社会のほうが人間の本質からずれているのではないか」
と思うことがあります。
どちらを基準に考えるかによって、見え方は大きく変わりますよね。

以前の配信でもお話がありましたが、人は生まれるときに、一人ひとり異なる個性を持ってくる。
他の人と似ている部分はあっても、まったく同じ人はいません。
その人の本質と、社会の常識がずれている場合、常識に合わせ続けることは、とても苦しくなりそうですね。

そうなんです。
常識に合っていれば「普通の人」と思われ、常識から外れると「変な人」と思われる。
しかし、その常識自体がずれているとしたら、常識に従うことが、必ずしも正しいとは限りません。
世間の常識に対して、
「何かおかしいのではないか」
と素直に表現する人は、社会のなかでは変わった人と思われるかもしれません。
場合によっては、落伍者のように扱われることもあるでしょう。
それでも、常識に無理に合わせるより、自分の本質に沿って生きるほうが、幸せな人生につながる場合もあると思います。
「普通の高校」を辞めて、生き生きとした少女

私の知人にも、そのような経験をした娘さんがいます。
その方は、最初は一般的な高校へ進学しました。
ただ、明確な理由を説明できるわけではないけれど、どうしても学校が合わず、違和感を感じて退学しました。
その後、自宅での学習と通学を組み合わせた学校を見つけ、そこで大好きな美術とも出会いました。
今では、以前とはまったく違い、とても生き生きと高校生活を送っています。
私がすごいと思ったのは、高校を辞めるときに、親御さんが世間の常識にとらわれて、
「辞めてはだめ」
「もっと頑張りなさい」
と言わなかったことです。
その子の本質や個性をしっかりと見ていたからこそ、その子に合った幸せな道へ進むことができたのだと思います。

本当にそう思います。
子どものことを考えるのであれば、世間の常識に合わせるよう勧めるよりも、その子の本質に合う道を一緒に探し、勧めてあげるほうがよいと思います。
「感謝祭」と言いながら、売り込む違和感

これは、街の電器屋さんの商売にも通じる話です。
電器店業界では、昔から「感謝祭」というイベントがよく行われてきました。
ところが、実際には、お客さまに純粋に感謝を伝えるイベントというよりも、商品を販売することが目的になっていることがあります。
チラシに、
「来場された方には、記念品を差し上げます」
と書き、その記念品を目当てに来店したお客さまに、商品を販売する。
それが、業界のなかでは当たり前の方法になっていました。
しかし、街の電器屋さんの魅力や本質について考えていくと、私は、このやり方に大きな違和感を持ちました。
街の電器屋さんは、お客さまへの思いやりと、長年の信頼関係を基盤に仕事をしています。
お客さまのために動き、その姿勢を評価されることで、選ばれ続けています。
それなのに、「感謝祭」と言いながら、実際には商品を売り込む。
これは、街の電器屋さんの本質とずれているのではないかと思ったんです。
何も売らない「お店の誕生会」

そこで、その考え方に共感してくださった電器店の方々と、業界の常識とはまったく異なるイベントを行いました。
例えば、お店の創業何十周年という節目に、普通であれば、
「創業○周年記念感謝祭」
という名称で、商品を販売するイベントを開きます。
しかし私たちは、
「感謝祭と言いながら売り込むのは、やはりおかしいですよね」
と話し、純粋にお店の誕生日を祝う「お店の誕生会」を開催しました。
商品を売ることを目的にせず、ただ、お客さまに楽しんでいただき、日頃の感謝を伝えるイベントです。
それまで業界の常識に沿って商売をしてきた方にとっては、とても勇気のいることでした。
「手間もコストもかかるのに、何も売らなくて大丈夫なのだろうか」
「売上につながらなかったら、何のためにするのだろう」
と、不安になるのも当然です。
ところが、実際にやってみると、お客さまは、売り込まれる感謝祭よりも、何も売らない誕生会のほうを、ずっと喜んでくださいました。
そして結果的には、直接販売を目的としていないにもかかわらず、その後の売上も上がっていったんです。
お客さまも喜ぶ。
お店の方も、心から幸せを感じる。
そして、結果として商売もうまくいく。
私は、
「こちらのほうが、街の電器屋さんの本質に合っているのではないか」
と思いました。
ただし、業界の常識とは違うことをすると、周囲からは、
「なぜ、そんなことをするのか」
と、変人のように扱われることもあります。

思いやりと信頼をベースに仕事をされている方にとっては、本質と違うやり方に違和感を持ち続けながら働くことも、苦しいですよね。

そうなんです。
違和感を持ちながら仕事を続けるのは苦しい。
そのため多くの場合、その違和感を心の奥にしまい込み、感じないようにしながら、業界の常識に合わせて仕事を続けてしまいます。
でも、その違和感を無視せず、自分たちの本質に立ち返ることで、お客さまも自分たちも幸せになり、結果として自然に売れるようになることがあります。

それでは、櫻木さん。今回のお話の本質をお願いします。

今回の本質は、
「変人でも、いいじゃないか」
ということです。
違和感は、自分の本質とのずれに気づくきっかけになります。
そして、本質に立ち返り、自分の本質に沿った選択をしようとすると、世間や業界の常識から外れることがあります。
そのとき、周囲から変わった人と思われることもあるでしょう。
しかし、常識と本質のどちらを基準にするかは、自分で選ぶことができます。
もし世間の常識と自分の本質がずれているのであれば、無理に常識へ合わせる必要はありません。
変人と思われたとしても、自分の本質に軸を置いて生きる。
その先に、幸せな人生や、本質と整合した商売があるのだと思います。

今日のお話を聴いて、
「常識から外れても、いいんだ」
と感じたリスナーの方もいらっしゃるかもしれませんね。
世間の常識から外れたことが、実はその人にとっての正解である場合もあります。
これからの配信も、ぜひ楽しみにしていただければと思います。
この番組では、リスナーの皆さまからのお便りをお待ちしています。
概要欄のお便りフォームから、ご質問やご感想など、ぜひお気軽にお寄せください。
また、Xで感想を投稿される際は、ハッシュタグ「#本質整合」を付けていただけるとうれしいです。
それでは、今回もお聴きいただきありがとうございました。

ありがとうございました!
「本質と一致して生きる」。
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