AIが文章を書いてくれる時代に、人間が自分で書く必要はあるのでしょうか。
第14回では、前回の「聞くことと読むこと」に続き、「話すことと書くこと」の違いを考えます。
聞いたり読んだりして分かったつもりでも、人に説明しようとすると言葉が出てこない。情報は、自分の言葉でアウトプットできたときに、初めて本当の理解へ変わるのかもしれません。
話し言葉は時間とともに流れていきますが、文字はその場にとどまり、立ち止まって見直し、考えを構造化することを可能にします。一方、AIに書くことを任せれば、人間の思考力は衰えるのでしょうか。それとも、一人では届かなかった深さまで思考を拡張できるのでしょうか。
今回の探究テーマは、「AI時代に、人間が書くことの意味とは何か」です。

「売る気がないのに自然に売れる、本質整合経営」。
この番組は、人や組織の本質を言語化し、本質と一致した生き方、そして本質整合した仕事と経営のあり方を探究する番組です。

こんにちは。本質整合研究所の櫻木隆志です。

インタビュアーの高須早智子です。
櫻木さん、今回もよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

前回の第13回では、「聞くこと」と「読むこと」の違いを探究しました。
収録が終わったあと、櫻木さんが、
「実は、自分の考えが一番深まるのは、書いているときなんです」
とおっしゃっていましたよね。

そうなんです。
前回は、音声で聞くことと、文字で読むことの違いを考えました。
その流れで自然に、
「では、自分が外へ表現するとき、話すことと書くことでは、何が違うのだろう」
という問いが出てきました。
今回は、「話すこと」と「書くこと」という、アウトプットの違いについて考えてみたいと思います。
書くと、頭の中が整理される

私も、かなり書くタイプなんです。
便利なアプリもたくさん使っていますが、今でも手書きの手帳を使っています。
スケジュールを書いたり、ちょっとしたメモを残したりすると、頭の中が整理される感覚があります。
書くことで考えが深まるという櫻木さんのお話には、すごく共感します。

書いたほうが、頭にも残りますよね。
本を読んだり、講演を聞いたりして、
「なるほど、よく分かった」
と思うことがあります。
ところが、その内容を誰かに説明しようとすると、意外と言葉が出てこない。
よくあることだと思います。
前回は、「聞く・読む」というインプットについて考えました。
今回は、「話す・書く」というアウトプットを考えます。
情報を受け取るだけの場合と、自分の中から外へ出す場合とでは、求められる思考の深さが違うのではないでしょうか。

アウトプットするには、自分がしっかり理解していないと難しいですよね。

そうなんです。
聞いたり読んだりするだけなら、十分に考えていなくても、情報そのものは入ってきます。
しかし、それを人へ伝えようとすると、かなり考えなければなりません。
何を伝えるのか。
どのような順番で話すのか。
どの言葉を使えば伝わるのか。
自分は、本当に何を理解したのか。
そうしたことを整理する必要があります。
理解するとは、自分の言葉になること

では、「理解した」とは、どのような状態なのでしょうか。
情報を受け取っただけでは、まだ理解したとは言えないのかもしれません。
受け取った情報が、自分の経験や考えとつながり、自分の言葉として外へ出せるようになったときに、初めて理解したと言えるのではないでしょうか。
言い換えると、
理解した瞬間とは、自分の言葉になった瞬間
なのかもしれません。

誰かに説明する場面は、日常のなかにもありますよね。
子どもに話すこともありますし、仕事で誰かに伝えたり、教えたりすることもあります。

ありますよね。
そのとき、どこかで聞いた言葉をそのまま話していると、相手にも伝わるんです。
「それは、あなた自身の言葉ではありませんよね」
という感じがします。
受け取った情報を、そのまま横流しするのではなく、自分の中でいったん咀嚼する。
自分の経験や考えと結びつける。
そして、自分の言葉として話したり書いたりする。
そこまでできて初めて、本当の意味で理解したと言えるのではないかと思います。
教える人が、一番学ぶ

教育心理学には、「教えることによる学習」という考え方があります。
人に教えることを通して、教える側の理解が深まるというものです。
「人に教える人が、一番学ぶ」
という話を聞いたことがある方も多いと思います。
実際、誰かに教えるためには、学んだ内容を整理しなければなりません。
何が重要なのかを選び、順番を考え、相手が理解できる表現へ置き換える必要があります。
内容を構造化する。
自分の理解を客観的に見る。
記憶から情報を取り出す。
相手の反応を見て、説明し直す。
こうした作業を繰り返すことで、自分自身の理解も深まっていきます。

人に教えることは、本当に大変ですものね。
自分がよく理解していなければ、相手に分かるようには説明できません。

そうなんです。
教えることは、単に知識を相手へ渡すことではありません。
教えるために、自分の頭の中を整理する。
その過程そのものが、深い学習になっているのだと思います。
考えたことを、文字として外へ出す

櫻木さんは、たくさんの本を読まれたり、いろいろな方へ取材されたりしています。
そのときに得た情報は、やはり書き残すのですか?

書きますね。
その場でメモすることもありますが、何かを考えているときにも、とにかく外へ出したくなります。
頭の中だけで考えていると、ある程度のところで思考が止まってしまう感覚があるんです。
考えていることを、文字にする。
文字になったものを見て、さらに考える。
また新しい言葉を書く。
その繰り返しによって、考えが少しずつ深まっていきます。
私は手書きも好きですが、考えが次々と出てくるときには、タイピングのほうが速いんです。
そのため、頭に浮かんだことを、どんどん文字として入力していくことが多いですね。

自分の言葉へ置き換えながら、タイピングしていく。
私の場合は、手で書く。
方法は違っても、頭の中にあるものを外へ出しているわけですね。

そうですね。
話した言葉は流れ、書いた言葉はとどまる

前回のお話ともつながりますが、話し言葉は、発した瞬間から時間とともに流れていきます。
一度話した言葉は、その場から消えていく。
会話は次々と進んでいきますから、同じところに立ち止まり続けることはできません。
もちろん、現在は録音して聞き直すこともできます。
それでも、話すという行為そのものは、基本的に時間の流れの中で行われます。
一方、文字にすると、言葉がその場にとどまります。
書いた言葉を眺める。
前の文章へ戻る。
表現を変える。
文章の順番を入れ替える。
全体の構造を見直す。
文字にすることで、自分の考えを、自分の外に置いて観察できるようになります。
頭の中にあったものが、いったん外へ出る。
すると、自分の考えでありながら、少し距離を置いて、客観的に見ることができます。
このことが、書くことによって思考が深まる大きな理由なのではないかと思います。
書くことは、考えを固定することではない

書くというと、完成した考えを文章にする行為だと思われがちです。
しかし、実際には逆なのかもしれません。
考えがまとまったから書くのではなく、書くことで考えがまとまっていく。
何を書けばよいか分からない状態から、とりあえず言葉を置いてみる。
その言葉を見て、
「少し違うな」
「本当に言いたいのは、こちらかもしれない」
「この考えと、あの経験はつながっているのではないか」
と、さらに考える。
書くことは、すでにある考えを記録するだけでなく、まだ形になっていない考えを生み出す行為でもあります。
これは、読むというインプットでも、書くというアウトプットでも共通しています。
文字は、流れていく時間をいったん止め、人間に立ち止まって考える場所を与えてくれるのだと思います。
AIが文章を書く時代に、人間が書く必要はあるのか

前回は、ChatGPTのライブ音声についてもお話しいただきました。
非常に自然な会話ができる一方で、テキストでの対話に比べると、少し浅く感じたというお話でした。
そして今は、AIが文章そのものも書いてくれる時代です。
実際に、AIで文章を作っている方も増えています。
これからも、人間が自分で書くことは必要なのでしょうか。

これは、とても重要な問いだと思います。
AIに文章を書いてもらうこと自体が悪いわけではありません。
むしろ、AIを活用したほうがよい場面は、たくさんあります。
文章のたたき台を作る。
分かりにくい表現を整える。
情報を整理する。
別の構成を提案してもらう。
AIは、とても優秀な支援者になります。
ただし、書くという行為に、
「自分の考えを整理する」
「自分の言葉を見つける」
「自分の理解を深める」
という働きがあるとすれば、書くことをすべてAIへ任せたとき、人間はその過程を失う可能性があります。
完成した文章だけを手に入れても、自分の中で考えが深まっていなければ、それは本当に自分の言葉と言えるのか。
そこは、慎重に考える必要があると思います。
文字も、かつては新しい技術だった

このことを考えていると、文字そのものが登場した時代にも、同じような問題があったのではないかと思いました。
宗教や哲学は、文字によって記録され、後の時代へ伝えられてきました。
文字があったからこそ、非常に多くの思想が、時代や地域を越えて継承されています。
ところが、歴史に残る偉大な思想家たちを見ると、自分自身で書物を残していない人も多いんです。
例えば、釈迦は自分で仏教経典を書いたわけではありません。
イエス・キリストも、自分で聖書を書いたわけではありません。
『論語』も、孔子自身が書いたものではなく、弟子たちがその言葉や教えをまとめたものです。
ソクラテスも自分では著作を残さず、弟子であるプラトンなどを通じて、その思想が伝えられています。
偉大な思想家ほど、対話や語りを重視し、自分で文字を残していない例があるわけです。
文字に頼ると、思考力が衰える?

ソクラテスは、対話や問答を非常に重視していました。
文字に頼りすぎることによって、人間が自分で思い出したり、考えたりする力を失うのではないかという警戒もあったとされています。
これは、現在の、
「AIを使うと、人間が自分で考えなくなるのではないか」
という議論と、少し似ていると思ったんです。
文字が広がった当時にも、
「文字に頼ると、記憶力や思考力が衰えるのではないか」
と考える人がいた。
現在は、
「AIに頼ると、書く力や考える力が衰えるのではないか」
と考える人がいる。
新しい技術が、人間の一部の能力を代行するようになったとき、同じような問いが繰り返されているのかもしれません。

「一度しか言わないから、しっかり聞いてください」
と言われると、集中力が高まりますよね。
文字であとから読めると思えば、聞き逃しても大丈夫だと思ってしまうことがあります。
ソクラテスたちは、そうしたことも重視していたのでしょうか。

その可能性もあると思います。
あるいは、文字にしなくても、非常に深く考え、記憶し、対話できる、異常な思考力を持っていたのかもしれません。
私たちには、なかなか想像できない水準ですよね(笑)。
書いたのは、教えを受けた弟子たちだった

偉大な思想家本人は書かなかったとしても、その教えを受けた弟子たちは文字に残しています。
弟子の側からすると、師匠から直接話を聞ける機会は限られています。
教えを忘れず、整理し、ほかの人へ伝えるために書き残したということは、大いにありそうですね。

そうですよね。
弟子たちは、師匠の言葉を聞いただけでは、十分に理解できなかったかもしれません。
そこで、聞いた内容を振り返り、整理し、繰り返し読むために文字へ残す。
そして、ほかの人へ伝えようとする。
その過程で、弟子自身の理解も深まっていったのではないでしょうか。
先ほどの「教えることによる学習」ともつながります。
つまり、文字は、人間が楽をするためだけの道具ではありません。
文字を使うことによって、人間は自分の能力だけでは扱いきれないほど複雑な考えを、外へ置き、整理し、深められるようになりました。
AIは思考を奪うのか、拡張するのか

現在、
「AIを使うと、人間の考える力が落ちる」
と言われることがあります。
その指摘には、大切な部分があると思います。
もともと自分でできていたことを、すべてAIへ任せ、自分は考えなくなる。
そのような使い方を続ければ、能力を使う機会が減り、衰える可能性はあります。
ただ、それを指摘している人の中には、もともと非常に高い思考力や文章力を持っている方も多いのではないでしょうか。
自分自身で深く考え、優れた文章を書ける人にとっては、AIへ任せることで能力が下がるという感覚があるかもしれません。
一方で、自分一人では、そこまで深く考えられない人もいます。
うまく言葉にできない。
考えがまとまらない。
何から考えればよいかも分からない。
そのような人がAIとの対話を通して、自分一人では届かなかった深さまで考えられるようになるとすれば、それは能力の退化ではなく、能力の拡張とも言えます。
AIが書いた文章を受け取るだけでは足りない

大切なのは、AIが書いた完成文章を、そのまま受け取って終わらないことだと思います。
AIが書いた文章を読んで、
「これは、本当に自分の考えだろうか」
「どこに共感し、どこに違和感があるだろうか」
「自分なら、どのように言い換えるだろうか」
「この文章を通して、自分は何を理解したのだろうか」
と、あらためて考える。
必要であれば、AIと対話しながら、自分の言葉へ書き換えていく。
AIに書いてもらうことと、自分が考えなくてよいことは、同じではありません。
AIが生成した文章を素材として、自分が考え、選び、整え、意味を与える。
そのプロセスがあれば、AIは思考を奪う存在ではなく、思考を支援し、拡張する存在になり得ます。
人間が書くことをやめたら、何が失われるのか

ただし、AIが便利だからといって、人間が考えながら書くことを完全にやめたら、何か大切な能力が失われる可能性はあると思います。
書くことで、自分の考えを外へ出す。
書いた言葉を見て、自分の内面を知る。
曖昧な感覚を言葉にする。
矛盾に気づく。
考えを整理し、深める。
書くことは、単に文章という成果物を作る作業ではありません。
自分自身を理解するための行為でもあります。
AIにすべて任せることで、文章を作る時間は短縮できるかもしれません。
しかし、自分自身と向き合う時間まで失ってしまったら、それは効率化とは違うのではないでしょうか。
AIと一緒に書くという選択

これからは、
「人間が書くか、AIが書くか」
という二者択一ではないと思います。
AIと一緒に書く。
AIに問いを返してもらう。
考えを整理してもらう。
別の視点を出してもらう。
言葉にならない感覚を、一緒に言語化する。
ただし、何を伝えたいのか、どの言葉が自分に合うのか、どの方向へ進むのかは、人間が引き受ける。
そうした役割分担が必要になるのではないでしょうか。
AIの力を借りながらも、自分の本質から言葉を生み出す。
AIが作った文章を使うのではなく、AIとの対話を通して、自分の言葉を見つけていく。
それが、本質整合したAI活用にもつながると思います。
今回の探究テーマ

それでは、今回のお話の探求テーマをお願いします。

今回の探究テーマは、
「AI時代に、人間が書くことの意味とは何か?」
です。
AIは、短い時間で、とても整った文章を作ってくれます。
そのなかで、人間が自分で考えながら書くことには、どのような意味が残るのでしょうか。
書くことをAIへ任せることで、人間の思考力は衰えるのでしょうか。
それとも、AIの力を借りることで、これまで届かなかった思考へ進めるのでしょうか。
文章を完成させることが目的なのか。
それとも、書く過程で、自分自身を理解し、自分の考えを深めることにも意味があるのか。
そして、
「AIに書いてもらうこと」
「AIと一緒に書くこと」
には、どのような違いがあるのでしょうか。
皆さんにも、ぜひ考えてみていただきたいと思います。

本質整合研究所のホームページでは、「読むPodcast」を公開しています。
音声で聞いて終わるのではなく、文字で読み返しながら、ご自身の考えを深めていただけたらうれしいです。
また、この番組は答えを一方的にお伝えする番組ではありません。
リスナーの皆さまと一緒に問いへ向き合い、本質を探究していく番組です。
今回の探究テーマ、
「AI時代に、人間が書くことの意味とは何か」
について、
「私はこのように感じた」
「自分にとって書くことには、このような意味がある」
「私はAIをこのように使い分けている」
といったことを、ぜひお便りフォームからお聞かせください。
皆さまから届いた問いや気づきが、次回以降の探究につながるかもしれません。
それでは、今回もお聴きいただきありがとうございました。

ありがとうございました。
「本質と一致して生きる」。本質整合研究所がお届けしました。
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