このサイトでは、
「本質」という言葉を使いまくっています。
本質とズレると苦しくなる。
本質と整合すると流れが変わる。
違和感は本質とのズレを知らせるサイン。
本質と整合すると、仕事や商売のあり方まで変わっていく。
そんな話をしています。
すると当然、
出てくる問いがあります。
それは、
「で、その“本質”って、結局なんなの?」
という問いです。
これは、とても大事な問いだと思います。
そして同時に、
とても簡単には言い切れない問いでもあります。
なぜなら私は、
本質というものは
“きれいに定義して理解するもの”ではないと思っているからです。
むしろ本質は、
説明されるものというより、思い出されるもの
なのではないかと思っています。
本質は「あるべき姿」ではない
まず最初に、
これはかなり大事なことだと思っています。
本質というのは、
「こういう人になった方がいい」
という理想像のことではありません。
もっと優しくなろう。
もっと行動力のある人になろう。
もっと立派になろう。
もっと成功できる自分になろう。
そういう“目指すべき姿”とは、
少し違うものだと思っています。
本質は、
何かを足して出来上がるものではなくて、
もともとそこにあるもの
なのではないか。
私はそんなふうに感じています。
本質は性格でも能力でもない
では本質は、
性格のことなのか。
才能のことなのか。
強みのことなのか。
というと、それとも少し違う気がしています。
もちろん、
性格や才能や強みの中にも、
本質の一部は表れます。
でも、それだけでは言い切れない。
たとえば、
- 明るい人
- 静かな人
- 社交的な人
- 一人が好きな人
こういう違いはあります。
でも、
明るいから本質的、静かだから本質的、
という話ではありません。
また、
- 営業が得意
- 文章が書ける
- 人前で話せる
- 数字に強い
といった能力もあります。
でも、
それがそのまま本質かというと、
やっぱり少し違う。
本質は、
そうした表面的な特徴の“さらに奥”にあるもの。
その人らしさの源泉のようなもの
なのではないかと思っています。
本質は「自然に出てしまうもの」に近い
では、本質はどういうものか。
今の私が一番しっくりきている言い方は、
本質とは、自然に出てしまうもの
という表現です。
頑張らなくても、ついそうしてしまう。
意識しなくても、そこに反応してしまう。
教わったわけでもないのに、なぜか大事にしてしまう。
そういうものです。
たとえば私は昔から、
- この世界の仕組みが気になる
- 人は何を頼りに生きているのかが気になる
- 表面的な答えではなく、根っこの方が知りたい
- 人や会社の“本当のところ”が気になる
そういうところがありました。
これは、
誰かに教わったわけではありません。
得になるから選んだわけでもない。
むしろ、
そんなことを考えていると、
普通に生きるのがちょっと面倒になるくらいです(笑)
それでも気になってしまう。
たぶんこういうものが、
本質に近いのだと思っています。
「子どもの頃の自分」にヒントがある
私は、本質を考えるとき、
子どもの頃の感覚にヒントがあることが多いと感じています。
小さい頃、
何に夢中になっていたか。
何に強く反応していたか。
何に違和感を持っていたか。
どんなときに生き生きしていたか。
そこには、
かなり大事なヒントが隠れていることがあります。
なぜなら子どもの頃は、
まだ今ほど
「こうあるべき」
「こうしなきゃいけない」
という外側のルールに染まりきっていないからです。
だからこそ、
より自然に本質が出やすい。
もちろん、
そのまま職業や形になるとは限りません。
でも、
「何に心が動いていたか」
「何を大事にしていたか」
の中には、
その人の本質の種が眠っていることが多いように思います。
本質は、「反応が変わる瞬間」に現れることがある
私はこれまで、
人と対話をしていて何度も感じてきたことがあります。
それは、
本質に近い言葉に触れたとき、
人の反応が明らかに変わる
ということです。
それまで頭で話していた人が、
急に静かになる。
言葉が止まる。
表情が変わる。
目の奥が変わる。
時には涙が出る。
それは、
論理的に「正しいことを言われた」からではないと思っています。
もっと深いところで、
“自分の奥にあるもの”が反応している
のだと思うのです。
私は、本質というものは、
そういうふうに現れることがあると感じています。
つまり本質は、
「考えて正解を出すもの」というより、
“これだ”と、内側が反応するもの
なのではないか。
そんな気がしています。
本質は、「役割」よりももっと手前にある
ここも大事なところだと思っています。
人は生きていると、
いろいろな役割を持ちます。
親。
子ども。
会社員。
経営者。
先生。
リーダー。
支援する人。
稼ぐ人。
もちろん、それらも人生の一部です。
でも本質は、
そうした役割よりももっと手前にあるものだと思っています。
たとえば、
「人を支える」という役割をしている人がいたとしても、
その人の本質は
- 人を安心させることかもしれない
- 本質を見抜くことかもしれない
- 火をつけることかもしれない
- 混乱を整理することかもしれない
同じように見える役割でも、
その人の本質によって“やっていることの中身”は全然違う。
だから私は、
職業や肩書きだけで自分を定義しない方がいいと思っています。
本質は、
それよりもっと深いところにあるからです。
本質は「何をやるか」より「どう在るか」に近い
私は最近、
本質とは
「何をやるか」よりも
「どう在るか」に近いもの
なのではないかと思っています。
どんな仕事をするか。
どんな役割を担うか。
どんな肩書きで生きるか。
それらももちろん大事です。
でも、それらは
本質そのものというより、
本質が現実の中でどう表現されるか
の話に近い。
本質そのものは、
もっと静かで、もっと深い。
その人の中にずっと流れている、
存在の“芯”のようなもの
なのではないかと思っています。
本質は「思い出す」もの
私は最近、
本質という言葉を考えるときに、
「見つける」というより
「思い出す」
という感覚の方がしっくりきています。
なぜなら本質は、
どこか遠くにある“正解”を探しにいく感じではなくて、
もともと自分の中にあったものに、
少しずつ気づいていく感じだからです。
「ああ、自分ってこういうところあるよな」
「昔からこれが気になっていたな」
「結局、私はここに反応してしまうんだよな」
そうやって、
バラバラに見えていた自分の断片が
少しずつ一本につながっていく。
私は、本質に触れる感覚って、
そういうものに近い気がしています。
本質は“正しく定義する”より“感じ取る”
もし本質がそういうものだとしたら、
大事なのは、
「本質とはこういうものです」と
正しく定義することよりも、
自分の中にあるそれを、ちゃんと感じ取っていくこと
なのかもしれません。
何に違和感があるのか。
何にエネルギーが通るのか。
何に自然と心が動くのか。
何をしていると、自分が自分でいられる感じがするのか。
そういうことを丁寧に見ていく中で、
本質は少しずつ輪郭を現してくる。
私は、そんなふうに感じています。
だからもし今、
「自分の本質って何だろう?」
と考えている方がいたら、
焦って答えを出そうとしなくてもいいのかもしれません。
本質は、
無理やり定義した瞬間に、
少しズレてしまうこともあるからです。
むしろ、
「自分は何に自然と反応してきたんだろう?」
「何に違和感を持ち続けてきたんだろう?」
「何を大事にせずにはいられなかったんだろう?」
そういう問いの方が、
本質に近づいていくのかもしれません。
あとがき
本質とは、
何か特別な能力や、
立派な肩書きや、
すごい使命のことではなくて、
もしかしたら、
その人がその人である“いちばん奥の感じ”
なのかもしれません。
そしてそれは、
新しく作るものではなくて、
思い出していくもの
なのかもしれません。